祈りの小箱 の検索結果:

祈りの小箱(146)『いまよりほんの少し』

『いまよりほんの少し』 「みんなで、すばらしい世界を作っていこう」というようなスローガンを耳にすると、わたしたちはつい「でも、わたしにできることなんて限られている」と思ってしまいます。現実の世界を動かす大きな力の前に、自分はまったく無力でなすすべがないと考えてしまうのです。ですが、神様は1人の人間に、世界をすっかりよくすることを願ってはおられません。1人ひとりが自分に与えられた場所で最善を尽くし、この世界をいまよりほんの少しだけいい世界にすることを願っておられるのです。 ほん…

祈りの小箱(145)『確実に変えられるもの』

『確実に変えられるもの』 いくつもの問題が複雑に絡み合い、解決不可能とさえ思えるほど困難な状況に直面したとき、わたしたちはつい「もうだめだ。どうしようもない」と思ってしまいがちです。ですが、本当に「どうしようもない」のでしょうか。わたしたちには、何も変えることができないのでしょうか。どんなに困難な状況に置かれたとしても、確実に変えられるものが一つだけあります。それはわたしたち自身です。 困難な状況に直面するとき、わたしたちの心の中も複雑に混乱してしまいがちです。利害関係が複雑…

祈りの小箱(144)『「半分しか」と「半分も」』

『「半分しか」と「半分も」』 コップに半分入った水を見たときに「半分しか」と思うか、それとも「半分も」と思うかによって見方がまったく変わるという話は、よく「ポジティブ・シンキング」のたとえ話として登場します。同じものを見ても、感じ方は人によってまったく変わってくるのです。これは、人生そのものにも当てはまるでしょう。人生で願ったことの半分が実現したとき、「半分しか」と思うか、それとも「半分も」と思うかによって、その人の人生は不幸にも幸せにもなるのです。 ある学校の先生から、こん…

祈りの小箱(143)『天国への入り口』

『天国への入り口』 埼玉の農家に生まれたわたしは、子どものころ、テレビに出てくる東京の洗練された、文化的な生活にあこがれていました。地下足袋と作業ズボンで歩いている父親や本棚がない家を恥じ、東京の暮らしの方が幸せに違いないと思い込んでいたのです。大人になってからも、子ども時代に心の中に沁みこんだ都会への憧れが無意識のうちに顔を出すことがありました。 ですが、キリスト教を信じたいまでは、幸せになるためには都会も田舎も関係がない。天国からの距離は、田舎も都会も、世界中どこでもまっ…

祈りの小箱(142)『「違い」と「間違い」』

『「違い」と「間違い」』 同じ仕事をしていても、新しい環境の中で働き始めると、これまでと違うやり方に出会って戸惑うことがたびたびあります。これまで自分が馴染んできたやり方とあまりに違う場合には、「本当にこれでいいのだろうか」という疑いさえ生まれてきます。自分が馴染んできたやり方を絶対化して、「このやり方は間違っているのではないか」と思ってしまうのです。「合理的ではない」とか「非効率的だ」とか、そんな風に思えることさえあります。 ですが、自分が新しい環境に馴染むにつれ、その環境…

祈りの小箱(141)『真の謙遜』

『真の謙遜』 「わたしは何でもできる」と言う人がいれば、「この人は何か勘違いしている」とほとんどの人が思うでしょう。たとえどれほどお金や権力があっても、何でもできる人間などいるはずがないからです。ですが、「わたしは何もできませんから」という言葉は、つい自分自身でも口にしてしまいがちです。たくさんの仕事を頼まれたときや、大きな困難に直面して自分の無力さに打ちのめされたときなど、逃げ口上のようにして「わたしは何もできませんから」と言ってしまうのです。 ですが、「わたしは何もできま…

祈りの小箱(140)『間違いと決めつける前に』

『間違いと決めつける前に』 自分のやり方と違うやり方をする相手と出会ったとき、わたしたちはつい「あの人は間違っている」と決めつけてしまいがちです。自分がこれまでやってきたやり方が一番正しいと思い込み、それと違うやり方をする人は間違っていると考えてしまうのです。ですが、そんなことが言えるのでしょう。自分のやり方が絶対に正しいという根拠がどこにあるのでしょう。自分と違ったやり方をするということは、「間違っている」ということとイコールなのでしょうか。 わたしたちは、それぞれ自分の置…

祈りの小箱(139)『「ありがとう」と言える幸せ』

『「ありがとう」と言える幸せ』 お金や地位、名誉などをどれほど手に入れても、それだけでは幸せになれないと実感させられることがときどきあります。世間的に見れば何不自由ない、それどころかうらやましがられるほどの生活をしている人が、さまざまなことへの不平不満を言って不幸せそうにしているのを目にするときです。発展途上国のスラム街などを訪ね、そこで暮らしている人たちが、何でもない普通の生活を神様に感謝しながら幸せそうにしているのを目にすると、人間の幸せはものだけは決まらないということを…

祈りの小箱(138)『仕事が忙しいときには』

『仕事が忙しいときには』 仕事が忙しくて休む暇もないとき、わたしたちはつい「どうしてわたしばかりこんなに忙しいんだ」「なぜこんなに働かなければならないんだ」と考えてしまいがちです。目先の仕事で頭がいっぱいになって、仕事の本当の目的を忘れてしまうのです。たとえば学校の仕事。机の上に積み上がった書類や、採点しなければならない答案の山を見ると、仕事がいやになってしまうかもしれません。ですが、その仕事が子どもたちのためであり、自分が書く書類や採点する答案の一つひとつが生徒の未来の役に…

祈りの小箱(137)『嘆きの声を上げる前に』

『嘆きの声を上げる前に』 「誰も私を大切にしてくれない。」「誰も私の話を聞いてくれない。」仕事に追われて体が疲れきってているとき、1人で大きな試練に直面しているときなど、わたしたちはついそんな風に考えてしまいがちです。追いつめられているとき、わたしたちはつい「自分だけが苦しいんだ。他の人は、もっとわたしに関心を持つべきだ」と考えてしまうのです。 ですが、よく考えてみましょう。苦しいのはわたしたちだけではないし、大切にしてほしいと思っているのも、話を聞いてほしいと思っているのも…

祈りの小箱(136)『動き出すのを待ちましょう』

『動き出すのを待ちましょう』 先日、いくつかの仕事を同時にしようとしていたらパソコンが急に止まってしまいました。どんなにキーを叩いても何の反応もありませんでしたが、「問題を修復しています」というような表示が出ていたので、それを信じて辛抱強く待つことにしました。他の仕事をして1時間後に戻ってくると、パソコンは止まったままです。夕食を終えて「どうかなぁ、壊れてなければいいんだけれど」と思いながらパソコンに向かうと、なんとパソコンは元通り動くようになっているではありませんか。止まっ…

祈りの小箱(135)『苦しみからの出口』

『苦しみからの出口』 大きな失敗をしたり、人から裏切られたりして苦しくて仕方がないとき、わたしたちはつい苦しみから逃げてしまいがちです。おしゃべりをしたり、ゲームをしたり、お酒を飲んだりして、その苦しみからなんとか逃げようとするのです。ですが、そのような気晴らしで一時は苦しみを忘れられたとしても、苦しみが消えることは決してありません。逃げても逃げても、どこまでも追いかけてきてわたしたちを追いつめてゆくのです。 では、どうしたら苦しみから逃れることができるのでしょう。そのために…

祈りの小箱(134)『無条件の受け入れ』

『無条件の受け入れ』 わたしたちは自分をどのように受け入れているでしょうか。これまで自分はダメな人間だと思っていたけれど、「仕事を見つけられたし、貯金もある程度たまったから自分を受けいれられた」とか、「恋人ができたから自分を受けいれることができた」「試験でいい成績がとれたから自分を受けいれることができた」というようなことであれば、それは条件付きの受け入れです。そのような受け入れは、もし仕事も貯金もなければ、恋人ができなければ、試験でいい成績がとれなければ、自分を受けいれられな…

祈りの小箱(133)『こんな私が』

『こんな私が』 一日をどんな気持ちで終えるか、それは人さまざまでしょう。自分の能力に自信があり、自分にはいろいろなことができると思っている人は、今日一日に自分ができたことよりもできなかったことに目を向けてしまいがちです。「私としたことが、あれもできなかったし、これもできなかった」と考えて、不満を言いながら一日を終えることになるのです。それに対して、自分の能力の限界をしっかりとわきまえた人は、今日一日に自分ができなかったことよりも、できたことに目を向けます。「こんな私が、あれも…

祈りの小箱(132)『完璧さより、誠実さを』

『完璧さより、誠実さを』 新年度が始まり、新しい職場でたくさんの新しい仕事に追われている人も多いでしょう。そんなときに起こりがちなのは、どれから手をつけていいかわからないまま焦りだけがつのって、パニックに陥ってしまうこと。パニックに陥らずに窮地を乗り越えるためには、どうしたらいいのでしょう。 そもそもなぜパニックが起こるのでしょう。それは、もしかするとわたしたちの心の中に気負いがあるからかもしれません。新しい職場で、自分に能力があることを見せたい、無能な新人と思われたくない。…

祈りの小箱(131)『真理を実現するために』

『真理を実現するために』 誰かから馬鹿にされたり、面と向かって悪口を言われたりすると、わたしたちはついかっとなって反論してしまいがちです。何とかして自分のプライドを保ち、周りの人々から侮られまいとするのです。ですが、そのためにますます周りの人たちから侮られる結果に終わることがほとんどです。「なんだと、お前の方が悪いんだ」というように、むきになって相手に言いかえする人を見て、「この人は立派な人だ」と思う人など誰もいないからです。そんな姿を見れば、ほとんどの人が「やはり、悪口を言…

祈りの小箱(130)『前に進みたいのなら』

『前に進みたいのなら』 片方の手で何かをぎゅっと掴みながら、前に進もうとしたらどうなるでしょう。どんなに前に進もうとしても、自分が掴んでいるものの周りをぐるぐる回ってしまうに違いありません。心の世界でも、それと同じことが起こります。もっと成長したい、前に進みたいと思っても、何かにしがみついている限り、考えはしがみついているものの周りをぐるぐる回るだけで、少しも前に進みません。 たとえば、A社に入社したけれども、本当は入りたかったB社への未練を断ち切れない場合。せっかくA社に入…

祈りの小箱(129)『目と目が合う瞬間』

『目と目が合う瞬間』 梅、桃、桜、八重桜と次々に春の花が咲いてゆきます。その一つひとつがどれも美しく、立ち止まって眺めているうちに時間を忘れてしまうことがあります。あまりに美しい色彩の世界に、吸い込まれてしまうような気がすることさえあるのです。それは、もしかすると神様が、その花を見つめているわたしたちを見つめ返した瞬間なのかもしれません。わたしたちが神様の創造の美に見とれているとき、神様もその美しさの向こう側からわたしたちを見つめ返しているのです。 じっと見つめ合っているうち…

祈りの小箱(128)『神様のストップ・サイン』

『神様のストップ・サイン』 若いころ、インドで結核にかかったことがあります。マザー・テレサのもとで、ボランティアとして働いていたときのことです。当時わたしは、マザーの勧めもあってインドで修道会に入り、神父になろうと考えていたところでした。実際、修道院で見習いとして一緒に生活も始めていたのですが、ある時から毎日、午後になると微熱が出るようになったのです。初めはマラリアかと思い、その薬を飲んでいたのですが、微熱はちっともおさまりません。やがてある日、咳をして口を押えたとき、手につ…

祈りの小箱(127)『他の人にとってはどうでもいいこと』

『他の人にとってはどうでもいいこと』 自分に誇りを持つのはすばらしいことですが、ときとしてわたしたちは、自分が誇りに思っていることを尺度にして人々を判断してしまいがちです。歌が上手な人は、美しい歌声を響かせることができる人こそ価値がある人間だと主張し、足が速い人は、足の速さこそ人間にとって一番大切なことだと主張し、料理がうまい人は、料理のうまさにその人の人間としての価値があると主張する。そんなことになってしまいがちなのです。ある人は語学力、ある人は学歴、ある人は背の高さ、ある…

祈りの小箱(126)『愛は死なない』

『愛は死なない』 本当に苦しいとき、「もう立ち上がることができない」「明日など来ないで欲しい」とさえ思うようなそんなときが、きっと誰にもあるでしょう。そんなときにふっと、むかし誰かから深く愛された体験が蘇ってくることがあります。子どものころにおばあちゃんから無条件に愛された体験、学校の先生から優しくしてもらった体験、家族から大切にされた体験などが懐かしく蘇ってきて、わたしたちを励ましてくれるのです。 そのような体験は、普段ほとんど思い出すことがないかもしれません。まるでどこか…

祈りの小箱(125)『神様にすべてを委ねる』

『神様にすべてを委ねる』 キリスト教徒はよく「神様にすべてを委ねる」と言います。キリスト教の信仰の一番基本的な姿勢なのですが、ともするとわたしたちはこの言葉を間違った意味に使ってしまうことがあります。自分のやりたいことだけを勝手にやって、その結果を「神様にすべてお委ねする」ということをしてしまいがちなのです。 例えば、自分がどうしても入りたい学校や会社があったとします。そんなとき、わたしたちはそのための助けを神様に祈り、全力でがんばって何とか試験に通ろうとするでしょう。全力で…

祈りの小箱(124)『方向を確かめながら』

『方向を確かめながら』 大きな困難に立ち向かったとき、わたしたちはつい「がんばって、この困難を乗り越えよう。そうすれば、必ずいいことがある」と思って自分を励まし、前に進もうとします。友だちが同じような状況にあるときにも、「がんばれ。応援してるぞ」というように励ましてしまいがちです。ですが、果たしてそれでいいのでしょうか。その大きな困難は、神様がこれ以上先に進まないように出してくれた、ストップのサインである可能性はないでしょうか。 もしそれが神様が出してくれたストップのサインで…

祈りの小箱(123)マザー・テレサ『人を愛したいなら』

マザー・テレサ『人を愛したいなら』 マザー・テレサは、貧しい人々への奉仕の出発点として、神様の前でありのままの自分自身を受け入れることを大切にしていました。弱くて不完全な自分を、それでも神様から愛された大切な自分として受け入れた人だけが、弱くて不完全な相手を、それでも神様から愛された大切な存在として受け入れることができるからです。 たとえば、自分の背が低いことをどうしても受け入れない人がいたとします。その人は、自分よりも背が低い人を見たときに、心から受け入れることができるでし…

祈りの小箱(122)『なぜわたしにこんな試練が』

『なぜわたしにこんな試練が』 大きな困難に直面したとき、わたしたちはつい「なぜわたしだけがこんな目に」とわが身を嘆いたり、そのような状況を作り出した周りの人たちを責めたりしてしまいがちです。困難の重さに耐えかねて、自分を憐れんだり、周りの人たちに責任を転嫁したりしようとするのです。そして、なんとか自分の力で困難な状況を打開しようとして「ああでもない、こうでもない」と考えたり、人と相談したりすることに時間と力を使うのです。 これは、とても自然な心の動きだと思いますが、言ってみれ…

祈りの小箱(121)『価値を作り出す』

『価値を作り出す』 誰からも評価してもらえず、自分に自信を失いそうになったとき、わたしたちは何とか自分で自分を守ろうとして自慢話をしたり、人の悪口を言ったりしてしまいます。他に誰も褒めてくれないから、せめて自分だけでも自分を褒めよう。評価されている他の人をけなして、その人の分の評価を自分に分けてもらおう。まるで、そんな風に考えているかのようです。ですが、結果は期待していたのと正反対。自分で自分を讃美し、他の人の悪口を言えば言うほど、周りの人たちの心はわたしたちから離れていって…

祈りの小箱(120)『つながって輝く』

『つながって輝く』 溌剌として喜びと力に満ちあふれ、まぶしいくらいに光り輝いて見える。そんな人とときどき出会います。例えば、結婚式の新郎新婦。きらきら輝く笑顔を見ていると、こちらまで幸せになります。神父になったばかりの若い司祭の顔も光り輝いて見えます。清らかな、すがすがしい輝きです。両方に共通しているのは、愛によって誰かと固く結び付けられたということ。夫婦であればお互いに、新司祭であれば神様と、そして教会の人々と愛によって固く結び付けられたとき、全身から喜びと力があふれ出すの…

祈りの小箱(119)『誰かのために与えられた力』

『誰かのために与えられた力』 自分のためにやろうとするとうまく行かないことでも、誰かのためにやろうとするとうまくいく、そんなことがときどきあります。例えば、どこかで講演会を頼まれたとき。うまく話してみんなを感心させてやろうとか、今日は新聞の取材が来るからできるだけかっこよく見せようとか、そんなことを考えていると決してうまく話すことができません。うまく話そうとすればするほど上辺だけの話になって、人々の心に届く言葉を語ることができないのです。 ところが、自分のことを考えるのをやめ…

祈りの小箱(118)『そんな自分が大好き』

『そんな自分が大好き』 「あなたって、○○よね。最悪!」これは、悪口一つの定型句と言っていいでしょう。相手の弱点や欠点をズバリと指摘し、それによって相手を傷つけようとするやり方です。とても強烈な悪口ですが、この悪口を無力化してしまう方法が一つだけあります。それは「そう、わたしって○○なの。でも、わたしはそんな自分が大好き」と答えることです。 自分の弱点や欠点を指摘されて傷ついたり、腹が立ったりするのは、自分でもその弱点や欠点を受け入れることができないからでしょう。こんな自分で…

祈りの小箱(117)『あなたの光は、闇の中に輝き出で』

『あなたの光は、闇の中に輝き出で』 「あなたの光」とは一体なんでしょう。それはきっと、神様がわたしたち一人ひとりの心に与えて下さった命の輝きのことでしょう。神様が創り、与えて下さったわたしたちの命は、本来、まばゆいくらいに光り輝く力を持っているのです。神様が与えて下さったその目的通りに命を生きるとき、わたしたちの命は燦然と輝き、この地上の闇を消し去ることができるのです。 では、わたしたちの命の本当の目的とは何でしょうか。それは、人間同士が互いに愛し合うことだと思います。わたし…