祈りの小箱 の検索結果:

祈りの小箱(175)『小さなことへの誠実』

『小さなことへの誠実』 教会や幼稚園でのこまごまとした仕事に追われていると、ふと「こんなことを続けていて意味があるのだろうか。わたしはもっと何か大きなことをすべきなのではないだろうか」という疑問が湧き上がってくることがあります。何かはわからないけれども、自分にはもっと他にすべきことがあるのではないか。そんな思いに捕らわれてしまうのです。 これは、典型的な悪魔の誘惑だと思います。神様から与えられた使命に疑問を抱かせ、間違った道に引き込もうとするとき、悪魔はこのような思いをわたし…

祈りの小箱(174)『愛は行いの中に』

『愛は行いの中に』 先日、広島で起こった土砂災害被災地でのボランティア活動に、広島教区の若者たちと一緒に参加してきました。住宅地を覆いつくした泥を掻き出し、土嚢に詰めて運ぶお手伝いです。泥はとても粘着性が強く、土嚢の重さは1つ20-30㎏にもなり、炎天下での作業は過酷なものでした。しかし、若者たちは何の文句も言うことなく、黙々と働きつづけました。泥まみれで、汗びっしょりになりながら、1日働き続けたのです。彼らの姿からは、被災された方々を思う愛がはっきりと感じられました。 この…

祈りの小箱(173)『命を捨てても守るべきもの』

『命を捨てても守るべきもの』 まだ神学生だったころ、浦上四番崩れによって長崎から流罪になった人々が殉教したことで知られる、津和野の乙女峠で観光ガイドをしたことがあります。訪ねてくる観光客に、殉教の様子などを説明するのです。ほとんどの人は熱心に聞いて下さいましたが、中にはこんなことを言う人もいました。「宗教のために命を捨てるなんて馬鹿げている。命より大切なものなんて、あるはずがないじゃないか。オウム真理教もそうだったけれど、宗教を始めると、そういうことが分からなくなるから怖い。…

祈りの小箱(172)『わたしたちの平和』

『わたしたちの平和』 「わたしたちの平和を守る」という言い方をすることがあります。このように言うとき、「わたしたち」の範囲がとても大切です。守る平和は、誰の平和なのかということです。「わたしたち」が自分の家族のことなら、「わたしたちの平和」とは自分の家族の幸せな生活のことです。もし他の家族がその邪魔をすれば、平和を守るために争いになるでしょう。「わたしたち」が、同じ国に住む人たちのことなら、「わたしたちの平和」とは自分の国の平和のことです。もし他の国がその邪魔をすれば、平和を…

祈りの小箱(171)『言葉の響き』

『言葉の響き』 聖書の中に、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」(コロ3:13)という言葉があります。どんなことがあっても相手を赦しなさいということですが、それは相手に悪い所があっても見て見ぬふりをしなさいという意味ではありません。聖書が言っているのは、相手を責めてはいけないということであって、見て見ぬふりをしろということではないのです。 相手の落ち度に気づいたとき、ついかっとなって、「なぜ、こんなことをしたんだ」と相手を一方的に責めてしまうことがあり…

祈りの小箱(170)『揺らぐことのない自信』

『揺らぐことのない自信』 「自分に自信を持ちましょう」と言うと、「いえ、神父様、わたしは自分に自信なんかありません」という反応が返ってくることがあります。「なぜですか」と尋ねると、「わたしはあれもできないし、これもダメだし、人に誇れるようなことは何もないのです」と言います。どうやら、自分に自信を持つということを、人と比較して自分に優れたところがあるという意味にとっているようなのです。「競争社会」と呼ばれる現代社会に育ち、日々、競争の中で生きているわたしたちにとっては、むしろそ…

祈りの小箱(169)『自分に誇りを持つ』

『自分に誇りを持つ』 「もっと自分に自信を持て」、「誇りを持って生きろ」というような言葉をよく聞きます。それは、ある意味で正しいアドバイスだと思います。人間は、自分に自信があるからこそ、自分の生き方に誇りがあるからこそ、どんな困難も乗り越えていくことができるのです。問題は、自信や誇りの根拠をどこに求めるかということでしょう。 ある人たちは、自分を他人と比較することで自分に自信を持とうとします。「わたしは〇〇さんとは違ってこんなこともできるし、あんなこともできる」と考えることで…

祈りの小箱(168)『「思った通り」を手放せば』

『「思った通り」を手放せば』 いらいらして心が落ち着かないとき、そのいらだちの原因を探っていくと、いつも一つのことにたどりつきます。それは、何かが自分の思った通りにならないということです。たとえば、子どもがちっとも言うことを聞いてくれないとか、友だちが勝手なことばかりするというような場合、わたしたちがいらだつのは、子どもや友だちが自分の思った通りに動いてくれないからです。あるいは、うまく就職が決まらない、どんなに頑張っても誰にも評価してもらえないというような場合、わたしたちが…

祈りの小箱(167)『生きている人間のための宗教』

『生きている人間のための宗教』 宗教の目的を、死んでから天国に入ることだと勘違いしている人がときどきいます。死んだあとで天国に入ることだけが宗教の目的ならば、そのような宗教は生きている人間には必要がありません。宗教の目的は、むしろ地上にいながら天国の喜びを味わって生きること、この地上に天国を実現していくことにあるのです。 このことを強く感じたのは、先日、幼稚園の「夏の夕べ」に参加していたときのことでした。幼稚園の先生方や、お父さん、お母さん、教会の皆さんが汗水たらしてテントを…

祈りの小箱(166)『蒔きもせず、紡ぎもしない鳥たちさえ』

『蒔きもせず、紡ぎもしない鳥たちさえ』 「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(マタイ6:26)という言葉が聖書の中にあります。読むたびに、とても励まされる言葉です。蒔きもせず、刈り入れもせず、世の中のために何の役にも立っていないように見える空の鳥たちさえ、神様は愛して下さるというのです。神様から愛されるために、何かの役に立つ必要などありません。神様から愛されるためには、ただ空の鳥たちのように、精い…

祈りの小箱(165)『空の鳥をよく見なさい』

『空の鳥をよく見なさい』 ※今回は、教会紹介のために作ったカードをご紹介したいと思います。書かれている言葉は、おなじみの聖書箇所「空の鳥をよく見なさい」です。 「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる」とイエスは言います。空の鳥たちは、この世の基準で見たときに、役に立つようなことを何もしていません。ですが、そんな鳥たちでさえ、神様は養って下さるというのです。働くことができなくても、はっきりと目に見える形で…

祈りの小箱(164)『役に立つアドバイス』

『役に立つアドバイス』 仕事のことや家族のことで悩んで相談すると、すぐに答えを教えてくれる便利な人がいます。自信満々に「ああ、それならこうするべきだよ。君の考え方は間違っている」などと教え諭してくれる人です。その人が教えてくれた答えが、役に立つように思えることもあります。ですが、そんな答えに飛びついたときには、実践しているうちにだんだん迷いが生まれてくるものです。「あのとき、あの人があんなことを言ったから、わたしはいまこんなに苦しんでいる」、そんな風に考えるようになるのです。…

祈りの小箱(164)『仕事の意味』

『仕事の意味』 これまで当たり前にしていた仕事が、急に耐えがたいほどの苦役に感じられるようになることがあります。それは、仕事の意味を見失い、「一体、何のためにこんなことをしているんだろう」と考え始めたときです。たとえばわたしの場合なら、これまで当たり前にしていた教会や幼稚園の仕事に、急に意味が感じられなくなるのです。「こんなことは、自分のすべきことではない。自分が本当にすべきことはもっと他にある。」そう考え始めると、もう日々の奉仕は時間の無駄遣いとしか感じられなくなり、耐えが…

祈りの小箱(163)『自分をゆるしてあげましょう』

『自分をゆるしてあげましょう』 「ゆるし」というテーマを考えるとき、他人をゆるすのも確かに難しいことですが、もっと難しいのは自分で自分をゆるすことなのではないかと感じることがあります。他人のことをゆるせても、自分の人生をありのままに肯定できる人、自分の弱さや罪深さを直視し、それを受け入れられる人はとても少ないのです。たくさんの人が「わたしの人生はこんなはずではなかった」、「いまのままのわたしではダメだ」と自分を責め、自分で自分を苦しめているようです。 なぜ、わたしたちは自分で…

祈りの小箱(162)『心と心は響きあう』

『心と心は響きあう』 喜びに満ちあふれ、にこにこしている人のそばにいると、どういう訳か自分までうれしくなってくる。不安にかられ、いらいらしている人のそばにいると、どうしてもこちらまで気持ちが重くなってくる。そんな経験をすることがあります。善かれ悪しかれ、人間の心のあり様は、近くの人に伝染していくようです。その人の心の中にある喜びや悲しみの響きが、周りの人に共振すると言ってもいいかもしれません。 その人の性格も、一種の響きと言ってもいいでしょう。さまざまなことに不満を抱き、憎し…

祈りの小箱(161)『共に作り出す平和』

『共に作り出す平和』 「平和を守る」、という言い方をすることがあります。その場合の平和は、自分が属している共同体の安全な暮らしや、ますますの繁栄というような意味でしょう。どこかから敵が攻めてきて、自分たちの共同体の暮らしや繁栄を脅かそうとしている。だから、自分たちの平和を守るために戦わなければならないというのです。ですが、相手から見れば、その共同体こそが自分たちの暮らしと繁栄を脅かす敵だと見えているかもしれません。相手は相手で、自分たちの共同体の「平和」を守ろうとしているだけ…

祈りの小箱(160)『時間をかけて』

『時間をかけて』 子どもが駄々をこねて言うことを聞かないとき、つい大声を出したり、手をあげたりしたくなることがあります。静かに話し合うことに我慢しきれなくなり、手っ取り早く問題を解決したいという誘惑が心の中に入りこんでくるのです。暴力によって相手を自分の思いのままに動かしたいという思いは、ぬぐってもぬぐいきれない、人間の根源的な罪の一つかもしれません。 この誘惑に負けて、大声で恫喝したり、暴力を振るったりして子どもを黙らせ、言うことを聞かせることができたとしましょう。そこには…

祈りの小箱(159)『形の残らないプレゼント』

『形の残らないプレゼント』 家庭の主婦が毎日、一生懸命にしている仕事は、どれも形の残らないものばかりです。家を掃除しても、子どもたちが帰ってくればすぐに散らかってしまうし、服をきれいに洗っても、すぐにまた汚れてしまう。何時間もかけて料理を作っても、十分足らずで跡形もなく消えてしまう。「社会に出て活躍している友人たちと比べて、自分は何をしているんだろうと思う」とこぼすお母さんの声も聞いたことがあります。 確かに、お母さんたちの仕事は形の残らないものばかりです。ですが、まったく何…

祈りの小箱(158)『捨てるための基準』

『捨てるための基準』 部屋を片付けようとするとき、何を捨て、何を取っておくかに迷うことがあります。部屋の中にあるものは、どれも一度は必要と思って買ったものや、人からもらったものだからです。そんなときわたしは、いま自分が司祭として福音宣教の使命を果たすために本当に必要なものは何かと考えるようにします。そうすると、自ずから必要なものとそうでないものの区別がつき、必要でないものを捨てたり、まだ十分使えるものは人に上げたりすることができるのです。捨てられなくなるのは、自分が何のために…

祈りの小箱(157)『自分自身へのいらだちと怒り』

『自分自身へのいらだちと怒り』 キリスト教の洗礼を受けて間もない20代前半のころ、教会のぜいたくさに腹を立てていた時期がありました。教会の大きな建物や、司祭の生活の豊かさなどが、気になって仕方がなかったのです。実際に、神父さんたちにそのことで苦情を言ったこともありました。あとからそんな自分自身を振り返ってみて気づいたのは、自分自身もキリストにとことん従う覚悟で洗礼を受けておきながら、キリストの言う清貧の理想をまったく実践できていなかったということでした。あの頃のわたしは、理想…

祈りの小箱(156)『心のお弁当』

『心のお弁当』 最近、幼稚園の子どもたちのあいだで「キャラ弁」と呼ばれるかわいらしいお弁当が流行っています。卵やウィンナーなどを使って、人気アニメ『妖怪ウォッチ』などのキャラクターを描いたお弁当です。あまりにもよくできているので、食べてしまうのがもったいないくらいですが、子どもたちは大喜びであっという間に食べてしまいます。お弁当は食べてしまえばなくなりますが、「お母さんがわたしのためにすごいお弁当を作ってくれた」という喜びは、子どもたちの心に残り続けるに違いありません。お弁当…

祈りの小箱(155)『「好き」と「愛する」の違い』

『「好き」と「愛する」の違い』 「好き」という言葉と「愛する」という言葉は、似ているようでだいぶ違います。「好き」というのは、自分にとって好ましい人を、その限りにおいて受け入れるということですが、「愛する」というのは、好ましい好ましくないにかかわらず、神様が出会わせてくださった相手を大切にすることだからです。相手が自分にとって好ましい特徴を失えば、たとえばお金が無くなったり、地位を失ったり、歳をとって容貌が衰えたりすれば、「好き」はすぐ「嫌い」に変わりますが、「愛する」は相手…

祈りの小箱(154)『温もりのメッセージ』

『温もりのメッセージ』 教会などで行われる大きな講演会に参加していて、ある種の虚しさを感じることがあります。立派な神父様やシスターからどんなにすばらしい話を聞いても、その話を覚えているのはせいぜい3日か4日で、1週間もすると話の内容を忘れてしまうのです。こまめにノートをとるようにはしていますが、そのノートをさえそのうち書類の山の中に消えて行ってしまいます。 ですが、そのような講演会が無駄だとは決して思いません。壇上に立った神父様やシスターの話しぶりや表情、話を聞いているときに…

祈りの小箱(153)『周りの人も疲れている』

『周りの人も疲れている』 「あなたは暇そうでいいわね」「もっと手伝ってよ」などという同僚や家族の言葉は、普段なら笑って聞き流すことができますが、仕事でくたくたに疲れ果きっているときに言われるとカチンと来ます。「わたしがこんなに働いているのがわからないのか」と思い、腹が立って仕方がなくなるのです。怒りのあまり、相手に向かって厳しいことを言ったり、喧嘩になってしまったりることもあるでしょう。 そんなときわたしたちは、「わたしは疲れている」ということで心がいっぱいになってしまってい…

祈りの小箱(152)『誠実に生きようとする限り』

『誠実に生きようとする限り』 より真実で美しく、善である生き方を目指して生きようとするとき、わたしたちは必ず苦しみに直面します。どんなに真実であろうとしても、つい誘惑に負けて間違いを犯してしまう自分。美しく生きようとしても、醜い欲望に引きずられてしまう自分。善であろうとしても、自己中心的になって悪を行ってしまう自分に直面せざるを得ないからです。人間の心の奥底には、真実で美しいもの、善であるものへの限りない憧れがありますが、その憧れを追い求める限り、わたしたちは憧れに近づこうと…

祈りの小箱(151)『裸の王様』

『裸の王様』 こんな笑い話があります。ある有名な映画スターが、地方の小さな町でタクシーに乗りました。仕事に遅れそうで急いでいた彼は、自分の名を言えば運転手が驚いて協力してくれるだろうと思って、「ぼくは〇〇なんだ。急いでくれないか」と運転手に頼みました。すると運転手は答えました。「きみは〇〇なのか。ぼくはジョージだ。よろしく。でも、これ以上スピードを上げるのは危険だからできないよ。」この運転手は、その映画スターの名前を知らず、てっきり自己紹介をされたのだと思ったのです。 名誉や…

祈りの小箱(150)『愛し合い、助け合うからこそ』

『愛し合い、助け合うからこそ』 職場や家庭での人間関係がわずらしくてたまらなくなり、一人になりたいと思うことがあります。遠くに出かけたり、海外旅行にでも行って、一人っきりになりたいと思うのです。ですが、一人っきりになってしばらくすると、困ったことが起こってきます。最初のうちは自由で気持ちよく思えた一人ぼっちが、だんだん寂しくてたまらなくなってくるのです。こうしてわたしたちは、ときにわずらわしく思える人間関係の中に再び戻っていきます。人間は、一人ぼっちでは幸せになれないのです。…

祈りの小箱(149)『孤独の痛み』

『孤独の痛み』 たくさんの人たちと一緒にいても、ふっと孤独を感じることがあります。「誰も自分のことを大切にしてくれない」、「誰も自分を受け入れてくれない」、そのように感じるとき、どんなにたくさんの人たちと一緒にいてもわたしたちは孤独なのです。どんなに電話で話しても、どんなにメールをやり取りしても、「相手が自分を大切に思ってくれている」、「相手が私を受け入れてくれた」と確信できるまで、孤独の痛みが止むことはありません。自分は愛されているという確信が持てないこと、それが孤独の正体…

祈りの小箱(148)『真理の言葉』

『真理の言葉』 正しさと真理の違いは何でしょう。いろいろな説明があると思いますが、はっきりしているのは、真理はすべての人の心に響くということです。すべての人の心を照らし、すべての人の心に届くからこそ真理なのだと思います。それを拒む人でも、心のどこかでは自分が間違っていることを認めざるをえない。真理とはそのようなものだと思います。 わたしたちの発する言葉が相手の心に響く言葉、真理の言葉であるために、何が必要でしょうか。それは、相手を思う愛だと思います。どんなに正しい言葉だったと…

祈りの小箱(147)『一人になることによって』

『一人になることによって』 たくさんの人と一緒にいても、「自分は一人ぼっちだ」と感じることがあります。みんなが自分を無視して話しているように思えたとき、自分が入り込めない世界を作っているように思えたときなどです。「この人たちは自分のことしか考えていない。この人たちはわたしを愛していない」と感じるとき、わたしたちは孤独の痛みを感じるのでしょう。それとは逆に、一人ぼっちでも、「自分は一人ではない」と感じることがあります。それは、祈っているときです。一人ぼっちの静寂の中で、自分は神…