祈りの小箱 の検索結果:

祈りの小箱(205)『ありのままを認める勇気』

『ありのままを認める勇気』 ミヒャエル・エンデのファンタジー小説『はてしない物語』の中に、故郷を守るために冒険の旅を続ける勇者が、関門を次々と乗り越えていくという話があります。通過しようとする者を殺してしまうスフィンクスの像が守る第一の関門を命からがら通過した主人公が第二の門にたどり着くと、そこに待っていたのは何と鏡でした。スフィンクスの門を通過した勇者さえ、その前に立つと悲鳴をあげて逃げ出すというその鏡の門。正体は、なんと前に立った人の本当の姿を映してしまう鏡でした。どんな…

祈りの小箱(204)『それにもかかわらずの愛』

『それにもかかわらずの愛』 「家族から愛されている実感がない」という相談を受けることがあります。確かに家族の側に問題があることも多いのですが、中には自分自身で愛を拒んでしまっているのではないかと思えるケースもあります。そのようなケースに共通するのが、「わたしがこんなにしてあげているのに、その分だけ愛してもらえない」という不平です。 聖書の中に、「放蕩息子のたとえ」というよく知られた話があります。裕福な父親と、2人の息子の話しです。親から受け取った財産を遊びのために使い果たし、…

祈りの小箱(203)『「ありがとう」と「ごめんなさい」』

『「ありがとう」と「ごめんなさい」』 祈りとは何か。いろいろな定義がありうると思いますが、祈りが神様との対話だということは間違いがないでしょう。聖書を通して、あるいは心の中から囁きかける神の声に耳を傾け、その声に応答する。わたしたちの問いかける声に、神が応答する。それが祈りの基本だと思います。 神様と対話すると言われても、初めはどうしていいか分からないかもしれません。初めての方には、まず神様に向かって「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うことから始めることをお勧めしたいと思い…

祈りの小箱(202)『愛さずにいられない』

『愛さずにいられない』 被災地などでのボランティア活動に参加する人の中には、「よし、イエスの教えに従って困っている人たちを愛するぞ。愛さなければならないんだ」と考えてやって来る人がいます。ですがボランティア活動の厳しい現実に直面すると、そんな人に限って、「なぜ、こんな人たちを愛さなければならないんだろう」と悩み始めるものです。そもそも、「愛さなければならない」という考え方そのものに問題があるようです。イエスの愛の教えを頭だけで理解し、義務的に誰かを助けるのは、本当の愛ではない…

祈りの小箱(201)『自分と向かい合う時間』

『自分と向かい合う時間』 自分が何を持っているかを確認し、持っているもので何ができるかを考えるために、ときどき部屋を整理するのはとても大切なことだと思います。もしごちゃごちゃにしていれば、自分が何を持っているかが分からなくなり、持っているものをまた欲しくなって買ってしまうかもしれません。何を持っているかが分からなければ、持っているもので自分に何ができるかが分からず、できることまでできなくなってしまうかもしれません。そのような無駄をなくすために、部屋を整理する必要があるのです。…

祈りの小箱(200)『失うからこそ与えられる』

『失うからこそ与えられる』 「神様が与えて下さるものは何でも笑顔で受け取り、取り去られるものは何でも笑顔で差し出しなさい」と、マザー・テレサは口癖のように言っていました。わたしたちのことを隅から隅まで御存じの神様は、わたしたちにとって必要なものだけを与え、必要がないものは取り去られる。だから神様を信頼して、受け取りたくないものでも笑顔で受け取り、手放したくないものでも笑顔で手放しなさいと言うのです。 もし神様が取り去ろうとしておられるものを、ぎゅっと握りしめて手放さなかったら…

祈りの小箱(199)『愛は終わらない』

『愛は終わらない』 「好き」と「愛する」の違いはなんでしょう。それは、相手を大切に思う気持ちに条件があるかどうかだと思います。「好き」というのは、文字通り、相手が好ましいということです。相手が好ましい限りにおいて相手を大切にするのが「好き」ということなのです。それに対して、「愛する」には条件がありません。神様が出会わせてくれた人だから、その人がその人である限りいつまでも大切に思い続ける。それが、「愛する」ということです。 「好き」は、相手が条件を満たさなくなれば消えてしまいま…

祈りの小箱(198)『あなたは、あなただからすばらしい』

『あなたは、あなただからすばらしい』 子どもを誉めるとき、つい「〜ができるなんて、きみはすごいね」と言ってしまうことがあります。できるように努力したことをほめ、子どもにやる気を出させるための励ましの言葉ですが、あまり使いすぎるのは危険だと思います。「〜ができるなんて、きみはすごい」という言葉には、「〜ができなければ、きみはすごくない」、「〜ができない人はすごくない」、さらには、「〜がもっとよくできる人は、もっとすごい」というメッセージが暗に含まれているからです。子どもたちはそ…

祈りの小箱(197)『世界という舞台』

『世界という舞台』 「わたしなんかいても、いなくても同じだ。わたしの人生に意味なんかない。」世界の厳しい現実にもまれる中で、わたしたちはついそんな風に思ってしまうことがあります。そんなときには、この世界を一つの大きな舞台だと考えてみてはどうでしょう。この地球を神様が創った大きな舞台と考え、わたしたち一人ひとりをその舞台に登場する役者と考えるのです。 そもそもわたしたちが舞台に立ったのは、必ず役割があるからです。もし役割がなかったなら、神様はわたしたちを舞台に立たせなかったでし…

祈りの小箱(196)『生まれてくる意味』

『生まれてくる意味』 「何のために生きているのか、意味が分からない」という悩みを聞くことがあります。「もしかしたら自分の人生には意味がないのではないか」、「生きていても仕方がないのではないか」、中にはそんな風に思い詰める人もいます。生きている意味が分からないというのはつらいことだと思いますが、あせって自分の人生の意味まで疑ってはいけないと思います。 神様は、無意味な創造をすることなど決してありません。わたしたち一人ひとりを創り、この世界に送り出すときにも、必ず意味があったはず…

祈りの小箱(195)『人生にまわり道はない』

『人生にまわり道はない』 「ここに来るまで、ずいぶんまわり道をしてしまいました。」60歳を過ぎて洗礼を受けたある男性がそうつぶやきました。若いころから教会に憧れていたのだけれど、結婚したり仕事が忙しくなったりで、なかなか来れなかった。もっと早く教会に来ていれば、余計な苦労もせず、もっと幸せな人生を生きられたかもしれないというのです。ですが、本当にそうでしょうか。これまでの人生は、本当は通る必要がなかった「まわり道」だったのでしょうか。 「まわり道」という言葉は、いわゆる「結果…

祈りの小箱(194)『よいこと、悪いことは半分ずつ』

『よいこと、悪いことは半分ずつ』 どんなことにもよい面と悪い面があるものですが、わたしたちはついつい、よい面だけを見て人をうらやんでしまうことがあります。例えば結婚。あるとき、一人暮らしのおばあさんがこんなことを言っていました。 「おじいさんが死んでもう10年。友だちからは『気楽でいいね』と言われるけれど、おじいさんが生きていて不自由な方がよほどよかった。」 結婚生活で相手に不満をいだいたり、介護で苦労している人たちからは、独り身がうらやましく見えるだろうし、わたしも昔はそう…

祈りの小箱(193)『雄弁な沈黙』

『雄弁な沈黙』 「神様、なぜわたしがこんな目に会わなければならないのですか。」ひどい苦しみの中で神様にそう問いかけても、神様は答えようとしません。神様は、なぜ黙ったまま、何も語りかけてくれないのでしょうか。神様の沈黙には、どんな意味があるのでしょう。 こう考えてはどうかと思います。友だちが、絶望に打ちひしがれ、涙にくれているときわたしたちはどうするでしょう。かける言葉も見つからないまま、ただその友だちの側に寄り添い続けるしかない。そんなこともあるでしょう。ですがその沈黙には、…

祈りの小箱(192)『悪魔の呪文』

『悪魔の呪文』 仕事がうまくいかないとき、疲れ切ってしまったとき、思いがけない失敗をしてしまったときなど、わたしたちはつい「もう駄目だ。どうせわたしなんか」と思ってしまいます。自分の力の限界に直面してくじけ、もうすべてが駄目だと思い込んでしまうのです。そして、そう思い込んだ瞬間から、どんなに力がある人でも本当に駄目になってしまうのです。 どんな人の口からも、ふと出てくる「もう駄目だ」という言葉は、悪魔が人間の心に忍び込ませた滅びの呪文なのではないかとさえ思えます。「もう駄目だ…

祈りの小箱(191)『自分自身を愛するように』

『自分自身を愛するように』 「隣人を、自分のように愛しなさい」と、イエスは言います。ただ「隣人を愛しなさい」ではなく、「自分のように」と加えているところが大きなポイントだと思います。わたしたち人間は、結局のところ、自分自身を愛するようにしか隣人を愛することができないからです。隣人を愛したいなら、まず自分自身を愛することを学ばなければならないのです。 自分の欠点と思われること、例えば太っているということを受け入れられない人が、他の人が太っていることを受け入れられるでしょうか。ど…

祈りの小箱(190)『タンポポにはタンポポの花』

『タンポポにはタンポポの花』 先日、幼稚園の研修会で、教育学の専門家の方からとても興味深い話を聞きました。長年に渡る教育学の研究の成果として、最近分かってきたのは、「子どもは、放っておいても自分で育つ」ということだというのです。もちろん、教育の必要がないということではありません。教育の役割は、自分の能力を開花させ、自分がなるべきものに育っていこうとする子どもの手助けをすること。育っていこうとする子どもの邪魔をしないことだというのです。 子どもは、まるで種のようなものだと言って…

祈りの小箱(189)『愛とは』

『愛とは』 「すべてを自分の思った通りにしたい」という思いは、人間の最も根源的な欲望だと言っていいでしょう。キリスト教では、人間が例外なく誰でも持って生まれてくるこの欲望のことを、原罪と呼んでいます。自分自身を神にし、自分が善悪の基準となり、世界を自分の思った通りに動かしたいという欲望こそ、人間をあらゆる罪に招く「罪の根源」なのです。 ですが、言うまでもなく、この欲望は人間を幸せにすることが決してありません。もし全世界が自分の思った通りに動いたとしても、人間はそれだけで幸せに…

祈りの小箱(188)『苦しみの意味』

『苦しみの意味』 「神様がいるのに、なぜ人間はこんなに苦しまなければならないのですか」という質問をよく受けます。とても実感のこもった質問です。神様がいるなら、なぜ神様は人間に苦しみを与えるのでしょう。一つの答えは、苦しみを味わった人にしか果たすことができない、大切な使命があるということです。 例えば、こんなことがありました。東日本大震災の仮設住宅で、「お茶っこ」と呼ばれる交流会に参加したときのことです。参加者の中に、たまたま神戸から来た、阪神淡路大震災の経験者がいました。ご自…

祈りの小箱(187)『神様の鉛筆』

『神様の鉛筆』 たくさんの仕事が押し寄せてきて、どこから手をつけていいか分からないとき。自分の能力をはるかに越える、大きな責任を任されてしまったとき。人間関係がこじれにこじれ、もうどうしていいか分からないとき。そんなときわたしたちは、「もう無理だ。わたしにはできない」と思って、絶望してしまいがちです。わたし自身もよくそういうことがありますが、そんなときには、「いや、ここからが神様の出番だ」と思い直して自分を励ますようにしています。「わたしにはできない」ということは、それで終わ…

祈りの小箱(186)『苦しみを乗り越える力』

「明日からわたしはどうなるんだろう」と考えていて、夜も眠れなかった。そんな話をときどき聞きます。つまり、まだやって来ていない苦しみを心配するあまり、その心配の苦しみで寝られなかったということです。自分で勝手に将来の苦しみを想像し、苦しむ必要がないのに苦しむ。わたしたちは、ときどきそんなことをしてしまいがちです。 そんなときには、これまでに出会ってきた苦しみを思い出してみたらいいでしょう。どれほどどん底と思われるような苦しみの中でも、わたしたちは何とか生き抜いてきたはずです。不…

祈りの小箱(185)『苦しみのときこそ成長のとき』

『苦しみのときこそ成長のとき』 「順風満帆なときに成長はない。人間は、苦しみの中でこそ成長する。」これは、わたしたちが体験的に感じている事実だと思います。では、苦しみの中でどんな成長が生まれるのでしょう。わたしは3つあると思います。まず、苦しみの中で、わたしたちは自分の弱さに直面します。これまで気づいていなかった、自分の弱点を知ることができるのです。これは、大きな成長の機会だと思います。なぜなら、自分の弱点を知らない限り、それを克服することもできないからです。次にわたしたちは…

祈りの小箱(184)『こんな小さなことでも』

『こんな小さなことでも』 聖書の中に、5つのパンと2匹の魚をイエスに差し出した少年の話しが出てきます。少年が差し出したわずかなパンと魚をイエスが受け取り、感謝の祈りを捧げてみんなに分けた。すると5000人もの人を満腹させることができたというのです。子どもが大活躍するので、この話は幼稚園の子どもたちにも大人気です。 この少年がすばらしいのは、自分が持っている5つのパンと2匹の魚を、勇気を持ってイエスに差し出したところだと思います。「こんなわずかのパンと魚、5000人のためには何…

祈りの小箱(183)『神様の期待』

『神様の期待』 神様は、わたしちの父であり、わたしたちを無条件に愛して下さる方。ですが、その神様がときにわたしたちを試練に会わせることがあります。思いがけない病気や事故、人間関係のトラブルなどを、わたしたちに与えることがあるのです。その理由はなんでしょう。父親が愛する子どもに試練を与えるとすれば、その理由はただ一つ、子どもを成長させることでしょう。試練を乗り越えさせることで、子どもであるわたしたちを一回り成長させたい。それが父である神様の願いであるに違いありません。 そう考え…

祈りの小箱(182)『自分を乗り越えてゆく力』

『自分を乗り越えてゆく力』 「苦しみを乗り越える」とはどういうことでしょう。あらゆる手を尽くして苦しみの原因を取り除き、苦しみを滅ぼしてしまうということでしょうか。そうではないでしょう。もし相手が病気や年齢、経済や気候の変動などであれば、どんなことをしてもその苦しみを滅ぼすことはできません。どんなに戦っても、無力と絶望を味わうだけです。 「苦しみを乗り越える」とは、苦しみと立ち向かってくじけそうになる自分を乗り越えることだろうとわたしは思います。病気や老化など、自分の力ではど…

祈りの小箱(181)『待つのも信仰』

『待つのも信仰』 事故や病気、突然の人事異動や会社の倒産など、思いがけない出来事によって自分の将来がどうなるかわからなくなったとき、わたしたちはつい悪い方へと考えてしまいがちです。例えば、「もしかするとリストラの対象になるかもしれない」と告げられたような場合、「もうだめだ。どうせリストラされるんだ」と勝手に結論を出して自暴自棄になったり、自分で現状を打開しようとして転職を急いだり、会社に恨みを抱いたりしてしまうのです。ですが、それはあまりにも急ぎすぎではないでしょうか。あきら…

祈りの小箱(180)『心を深く掘れば』

『心を深く掘れば』 仕事に追われる日が続いて心身に疲れが溜まってくると、ふと癒しを求めてどこかに出かけたくなることがあります。遠くの山や川、海に出かけて、そこでのんびりしたいと考えるのです。そこまでできなくても、せめて近くの温泉、カラオケ、居酒屋などに行って癒されたい。そんな風に考えてしまうこともあります。心の渇きを、美しい景色や地上の快楽によって癒そうと考えるのです。 ときにはそれも大切なことですが、遠くに行けなかったり、遊びに出かけるお金がなかったりしても、がっかりする必…

祈りの小箱(179)『何をすべきなんだろう』

『何をすべきなんだろう』 「あれもしたい、けれどもこれもあきらめきれない」と、さまざまな思いに翻弄されて人生の道に迷いそうになったとき、自分が本当にしたいことを見極めるのはとても大切なことです。したいことはたくさんあるけれど、どれが自分にとって一番大切な望みなのかとじっくり考えるのです。一番大切な望みを探し当てることさえできれば、自ずから進むべき道は決まるでしょう。 ですが、自分の心をどれだけ見つめれば見つめるほど、本当にしたいことが何なのか分からなくなってしまう場合もありま…

祈りの小箱(178)『小さなことに大きな愛を』

『小さなことに大きな愛を』 今日、9月5日はマザー・テレサの命日。カトリック教会では、この日をマザー・テレサの祝日に定めています。そこで今回は、マザーの言葉の中でも最も愛されているものの一つ、「大切なのは、どれだけ大きなことをするかではありません。小さなことに、どれだけ大きな愛をこめるかです」を取り上げてみたいと思います。 ここでマザーが言う「大きなこと」「小さなこと」とは、世間の目から見たときの大きさのことです。目立つこと、人から評価され、称賛されること、そのようなことが「…

祈りの小箱(177)『たった一人の心に届く言葉』

『たった一人の心に届く言葉』 ユダヤ教に「1人を救う者は、全人類を救う」という諺があると聞きました。教会で働いていると、このことを実感することがときどきあります。例えば、信徒から人間関係での悩みなどの相談を受けたときです。相手と一緒に苦しみながら、時間をかけて共に祈り、共に考えていると、やがて問題を乗り越えていく道が少しずつ見えてきます。不思議なのは、そのようにして示された道は、他の人の悩みににも根本的な部分で当てはまることが多いのです。 1人の人としっかり向かい合い、1人の…

祈りの小箱(176)『自分が進むべき道』

『自分が進むべき道』 人生の大きな選択を迫られたとき、わたしたちはつい「どちらが自分にとって得だろうか」「どちらの道が楽だろうか」と考えていまいがちです。ですが、そのように考えている間は、なかなか決断することができません。損得や快適さは、何を基準にするかによってまったく変わって来るからです。たとえば、就職。給料を基準に考えるなら、休みが短くても給料が高い方を得と考えるでしょうし、余暇を基準に考えるなら、多少給料が安くても休み多い方を得と考えるでしょう。そして、給料と余暇、どち…